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東京地方裁判所 昭和47年(合わ)468号 判決

被告人 佐藤藤雄

昭二一・六・一〇生 自動車運転手

主文

被告人を懲役七年に処する。

未決勾留日数中九〇日を右刑に算入する。

理由

〔認定事実〕

(本件犯行直前の状況等)

被告人は、昭和三七年三月本籍地の中学校を卒業して同年八月上京し、工員となつたが、昭和四三、四年ごろ、大型自動車の運転免許を取得した後は、自動車運転手となり、昭和四六年四月から埼玉県浦和市内の建設会社に、次いで同年一〇月からは東京都江戸川区字喜田町所在の新生興業株式会社に就職して引き続きダンプカーを運転していた者であるが、昭和四七年七月二八日被告人担当の自家用大型貨物自動車(いわゆるダンプカー・いすずTM四五ED、五段ミツシヨン、最大積載量一一トン、登録番号足立一一や一九二九号)を運転して残土運搬の仕事を終えて帰る途中、ビール二本半位を飲み、同日午後一一時四〇分ごろ、同区江戸川五丁目二二番地先交差点の手前約五〇メートル付近を環七通り方面から篠崎街道方面に向つて時速約三〇ないし四〇キロメートルで進行中、先行していた寺内富美技(当時二一歳)の運転する普通乗用自動車をその右側から加速して追い越そうとしたが、右交差点付近において同車と接触し同車において右側の両ドアやリア・フエンダーなどを大破するという事故を起した。

(罪となるべき事実)

そこで、被告人は、直ちに自車を右交差点の前方約二〇ないし三〇メートル付近の道路左側に停止させて降車したところ、同女から右事故についての話し合いのため付近の同女宅まで同行を求められたが、これに応ずれば損害賠償等の責任を追及されることになるばかりか、警察沙汰にされて右事故や酒気帯び運転などで刑事処分をうけることになると考え、とつさにその場から逃走する気になり、同女のすきをみて自車を発進させたが、これに気付いた同女が「待つて、待つて。」と叫びながら同車に走り寄つてその右手で運転席右側ドアの取つ手(水平取りつけの握り金具)を、その左手で後方寄りにある補助取つ手(垂直取りつけの握り金具)を握つてとり縋り停車を求めたため、減速して走行させながら何度も右手で同女の右手をドアの取つ手から振り払つたがその都度握り返され、容易に同女を振り切ることができなかつたので、このうえは、一気に加速して同女を無理に振り落としてでも逃走しようと決意し、同女を振り落とせば、その身体を路面に強打させたり自車の車輪に接触させるなどして、ことによつては同女を死亡するに至らしめるかもしれないと認識したのであるが、逃走を遂げるためにはそれもやむをえないものとしてこれを認容し、あえて時速約四〇キロメートルに加速して進行したうえ、前記のように両方の取つ手を握つてとり縋りながら、「待つて、待つて。」と叫んでいる同女の右手を振り払い、残る左手で補助取つ手を握り、右手で運転席のドアをたたいて必死に停車を求める同女にかまわず、あえて一段と加速して進行し、その間、約五〇メートル走行し、同区江戸川五丁目二六番地佐々木順一方前路上において、自車を左方に急転把した際自車から同女を振り落とし、その身体を路面等に強打接触させて、同女に対し胸骨・骨盤骨折、左足部挫滅創、右足部擦過傷等の傷害を負わせ、よつて同月二九日午前零時五〇分ごろ、同区長島町一、七七七番地の一江戸川第一病院において、右傷害による外傷性シヨツクにより同女を死亡させて殺害したものである。

〔証拠の標目〕(略)

なお、弁護人は、被告人には未必の殺意がなかつたと主張し、被告人も当公判廷において右主張に沿う供述をしている。

しかしながら、司法警察員黒尾俊夫作成の実況見分調書によれば、本件自動車は積載量一一トン、車輛重量八、六二〇キログラム、車体の長さ七・一四メートル、前輪二本、後輪四本のいわゆるダンプカーであることが認められるところ、被告人は、右自動車の運転席右側ドアの取つ手およびその後方寄りの補助取つ手に被害者が、判示認定のようなきわめて不安定な姿勢(ちなみに、右両取つ手の地上からの高さは、いずれも約一・七二メートル、被害者の身長は一・五六メートルであることが認められる。)でとり縋つているのに、その右手をドアの取つ手から外そうと執拗にこれを試み、奏効せずとみるや、あえて時速約四〇キロメートル以上に加速し、結局右手を振り放させ、片手で体をささえながら救助を求めてドアをたたくのにも耳をかさずに約五〇メートルの距離を走行したものである。そして、被告人は、右のような行為に出たのは、自己の起した交通事故の相手である被害者から責任を追及されること等判示認定のような動機から、もつぱら被害者を振り落してでも逃げ切ろうと思つたからである旨捜査段階におけるはもとより当公判廷においても終始供述しているのであつて、これを要するに、被告人の運転態度、被害者の体勢、本件自動車の形態、構造等からみて、被害者転落による衝突死や轢過死の蓋然性は極めて高く、それに被告人の心情を考え合わせるとき、何としてでも逃走しようとする被告人の意識の底には、被害者が転落の結果死亡するかも知れないが、そのような結果になつてもやむを得ないという認容があつたものといわざるを得ず、被告人には、未必の殺意があつたものと認めるのが相当である。

よつて、弁護人の主張は、採用できない。

〔法令の適用〕

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で、後記量刑の事情を考慮して被告人を懲役七年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中九〇日を右刑に算入することとする。

〔量刑の事情〕

本件は、飲酒をして運転中の被告人が、乗用車と接触して交通事故を起した際、その責任を逃れようとの一途に自己本位な考えから逃走を企て、判示のとおり被害者の生命や周囲の危険を意に介することなく加速暴走し、その結果被害者の生命を奪うに至つたもので、その犯行の動機・態様とも赦し難いものである。加えて、本件被害者は、二一歳のうら若い女性で、母親代りに家事の一切を切盛りしていたというもので、無残な死によつて一瞬に被害者を失つた遺族の心情も計り知れないものがある。世人ひとしく交通事故の絶滅を念願している現状において、このような無謀な殺人を犯すに至つた被告人の社会的責任は重大である。被告人が今日、悪夢のような自らの犯行を回想して深く反省悔悟している心情が窺われること、或程度の弁償の途が講ぜられていることなどの事情を参酌しても、なお前記の刑の量定に帰する次第である。

よつて、主文のとおり判決をする。

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